土鍋と器と美味しい暮らし

日々のくらしを愉しんでます

器の教科書

週末、駅からの帰り、ふらっと立ち寄った本屋さん。
入口のドアを開けると目の前に立てかけられていたのがこちらの本
思わず手に取りお買い上げ。

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とっても興味深く読んでみる。(勉強になる)
で、多治見に行きたくなってくる。(単純)
私にとって「器」ってなんなんやろう?とちょっぴり考えたりもしてみる。
(ちょっとした物思い、秋ならでは)
食器棚に並ぶ「器」を改めて見渡してみたりする。(思い出に浸る)

我が家には売るほど器があったりするのですが、それらは「好きだから」「お料理を美味しく見せてくれそう」諸々の理由あって求めてきたもの。それが10年以上の歴史となってむぎゅっと食器棚にしまわれています。器と着物は一朝一夕に集めてはならない!というのが、ちょっぴり人生を生きた私の教訓。本当に気に入ったものでないと、後々にその子(もの)に対して興味が不思議なほどに急減速する、という経験を何度もしたからです。「急がば回れ...」が大正解、と肝に銘じての器道・きもの道です。

そうやってゆっくりと積み重なっていったものには、嬉しさ経由の愛着がきちんと重なっていくのでこれまたオモシロイ。こうして、心に大切な「思い」をひとつずつ増やしていくことが心のふくらみやひだを増す方法のひとつかな、と今の私は思っています。だって自分を大切にする行為だもの、それって。

昨日、大好きな友人はこう口にしました。「同じ夏は二度とないんだよね」って。
なるほど...。(ここから私の大妄想大会がはじまる...)
誰の人生にも一番影響しあう人間関係は言わずもがな、食器棚にも、そんなこと言い出したらクローゼット、ドレッサー、キッチンだって同じ顔ぶれが揃い続けることってないなぁ、と。ただひと時として同じ光景はないんだな、と思えたところで「だからこそ、今を大切にしなきゃって思う」とその友人が続けました。
じーん。

そう思うと、途端に「今」を愛おしく感じられるから不思議です。

教科書の中には「器を買う事で「生活」を自分でつくりあげていくことができる」というような一文がありました。確かにそうかもしれません。我が家の食器棚を見てみると、そこには「今の私」がいるんですね、きっと。
だとしたら...途端に食器棚を人さまにお見せするのが恥ずかしくなった私...。
ちーん。